学生を卒業してから4年近く経つけど、
今更ながら数学って大事だし面白い学問だなと思ってる。
というのも、職場に数学に強い人間がいて、
その人と話すうちに面白さに気づくことが増えた。
彼は自分が知る限りで一番数学に造詣が深い。あと6つ年下。
頻繁に彼からモノの考え方を教えて貰うのだけど、
知れば知るほど数学って計算のための学問じゃないと気付く。
あれは考え方を開発する学問だ。
そして、それを紐解くにつれて、
数学の更に根っこ部分は哲学や論理学に行き着くとも気付く。
でも実際そうだ。
大昔のギリシャで数学の基礎を築いた学者たちも、
哲学者を兼ねていたりする事例は多い。
むしろ、数学は哲学をバックグラウンドにして発展してきた。
哲学も物事の考え方を突き詰める学問だし。
大学の理系学部に入学した当時、生協書店にあった
群論(大学数学の初歩らしい)の参考書を手にとって驚いたのを憶えている。
テキスト内に数字が見当たらない。
数字をひたすら探したが、ほとんど見つからなかった。
経済新聞を初めて読んだとき、4コママンガを探した時の感覚だった。
数学に触れると体系的な論理で議論する姿勢が求められる。
体系的とは、より広い事象で通用する大きな前提、理論からスタートして、
どんどん具体的な話に落とし込んでいく。
どんな学問でも基本姿勢は同じだけど、数学は特にそうだと思う。
んで、その時にマジで重要なのは、
論理を構築するうえでどんな前提条件を置くか、
言語をどう定義するか?だったりする。
これ、学問に限らず、普段の仕事の議論でも全く同じだったりする。
特に「1+1=2」証明するための前提条件、
『ペアノの公理』の考え方は興味深かった。
前提条件はどこまでも言葉で突き詰める先人たちの努力には感服すると同時に、
よほど暇だったんだろうな、とも思う。
誰もが理解できる納得できる定義、前提条件を置かないと、
議論の発展も、ロジック構築もままならない。
他の人に強要はできんけど、
少なくとも自分だけでも心掛けようぜって感じになるな。
言い換えれば、その場にいる皆が同じ目線で議論する姿勢が数学にはある。
データの見方とか、統計処理の仕方は各論的な話で、
より広義意味では、物事の思考方法を知る手段として数学は有効だ。
本当に今更なんだが、もう少し勉強し直してみようか。