培養X年目の与太話

培養エンジニアの与太話

細胞培養してます。与太話を食って生きてます。

死生観も色々

 

多種多様な文脈で、死生観が提示されている。

どれが悪いとかではなく、どれも良い。

ただ、何を基準に選べば良いのか?

 

つい先日、数カ月ぶりに実家に戻った。

母親と雑談をしたいた時、祖父の話になった。

母親いわく

「おじいちゃんがもう80後半だから、

亡くなった時のことを色々考えておきたいの。」

祖父はまだ元気だし、趣味の競馬にも余念が無い。

正直、そこらの若者よりも頭が切れるかもしれない。

だとしても、もう80後半。

頭が冴えているうちに、死ぬまでのこと、

死んだ後のことを色々と整理しておきたいと。

 

祖父はこれまで、死に対して後ろ向きだった。

80年以上生きても、やはり死ぬのは怖いらしい。

そんな彼が母親の説得もあり、

今一度、彼は自身の最期に向けて思索し始めたようだ。

 

そんな話を聞いた後に、

Wired ウェブメディアで読んだ記事を思いだした。

死んだ後に意識を電脳世界に移し、

永遠に生き続ける構想があるらしい。

具体的には、生きている間に脳と機械を一体化させることで、

記憶や意識が永遠に存在し続ける。

死を「本人に意識があること」で定義する場合、

それは事実上の不老不死を意味する。

 

wired.jp

project.nikkeibp.co.jp

 

今風に言えば、『死をハックする』だろうか?

この手の革新的な技術構想には疑問が生じる。

倫理的、法的にどうなんだ?の話ではない。

一番の疑問は、仮にそれが技術的に実現できたとして、

私を含めた一般人は、何を基準に技術の使用を選択するのか?

この場合、

「何をもってデジタル空間での不老不死を選択するか?」

だろう。

 

『終活』が認知されるようになり、

死に対する姿勢が問われることも増えた。

終活とは言い換えれば、死ぬことへの準備なわけだから

自分の死を受け入れる姿勢が前提にある。

一方で、意識のデジタル化は死への姿勢以前に、

死そのものから逃れる方法だ。

これらの間には決定的な違いがある。

つまり、

死を前向きに受け入れるか、

後ろ向きに拒絶するか?の違いだ。

 

どちらが良いとか、悪いのではなく、

 

個人の信条に沿って選択されれば良い問題だ。

でも、だからこそ、自分で判断する以外に無い。

その時、私達は何を判断基準に選択するのだろう?

 

死を後ろ向きに捉えるのは分かりやすい。

基本的に人間は、自らから死を遠ざけようとする。

医療はそのためにあるし、死に体して後ろ向きだった

私の祖父の気持ちも理解できる。

続けたい趣味もあるだろうし、他人から忘れられていくのが怖いだろう。

そういう人たちが、意識だけが肉体が滅ぶ以前と

同様に存在し続ける選択をするのは納得だ。

 

では、死に体して前向きな捉え方なんてあるんだろうか?

私が知る限り、前向きな死の捉え方を提示しているのは

ヨシタケ シンスケさんの「このあと どうしちゃおう」がある。

人間は必ずいつか死ぬ、という大前提で

テーマが新しい死との向き合い方なわけだから

字面だけ見ると、児童対象の読み聞かせ本としては少々重い内容にも思える。

しかし、実際に読んでみると良い意味で裏切られた。

 

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【ストーリー】

主人公「僕」の祖父が亡くなったその後を描いている。

彼が祖父の遺品整理をしていると、

「このあと どうしちゃおう」と書いてあるノートを見つける。

そこには

「天国はきっと、こんな楽しい場所」

「こんな楽しい神様と話をしてみたい」

「ネコに生まれ変わりたい」

「こんな楽しい見た目のお墓をつくって欲しい」

といった祖父自身が死んで天国に移住した後に

してみたいこと、家族にして欲しいこと、

望む死後の生き方が書き溜められていた。

悲しいというよりも、

死後を楽しみにするかのような内容だった。

 

それでも「僕」は、

祖父が死への恐怖や寂しさが入り交じる中、

自分の死と向き合っていたのではと考える。

 

やがて、「僕」は自分も死んだ後、生きている間について

「どうしちゃおう」と考え始める。

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死をテーマにしつつも、

柔らかいタッチのイラスト、

ユーモアのある発想で死を表現している。

 

誰もが死を怖いものとして構えてしまうなかで、

死を前向きに、かつフラットに見つめている。

 

平等に分け与えられた死に対し、誰でも恐怖心は消えない。

だからこそ、恐怖心は死を前向きに捉えるための

エネルギー源でもあるとも読める。

 

そして、この本は死後があるからこそ、

その対極にある生きている間にどう生きるのか、と投げかける。

この絵本で描かれている死後の生き方は

生前と死後を明確に区別している。

死後の世界のことなど今は想像しかできないのだから、

今をどう生きていくかと問いている。

 

来る死を認めつつ、死んだ後を前向きに捉える姿勢

死を回避するために、永遠の命を得ることを目指す姿勢

両者の姿勢は明らかに違うけど、永遠の命には変わりない。

どちらの選択肢も尊重されるべきだと思う。

もしかしたら今の私達には認知できない

不老不死の悦びあるのかもしれないし。

 

 

漠然としているが、

これからは今以上に死をテーマに扱う機会が増えそうだ。

 

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やや話題は逸れるが、前向きな死生観という意味では

藤井風の『帰ろう』にも通ずるかもしれない。

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