培養X年目の与太話

培養、与太話

細胞培養と与太話で生きてます。

伝統芸能の存続も金次第ってことか

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今日、こんな記事を読んだ。

新型コロナの影響で伝統芸能の公演に客が入らない。

だから業界全体でも興行収益が減っている。 

じゃあ、そんな中でもどうやって収益を獲得してけば良いか?

そんな話の記事だった。

(記事はシリーズになっており、他にも歌舞伎や博物館、

狂言の専門家とのトークセッションの記事もある)

 

bijutsutecho.com

 

 

収益を上げなくてはならない、記事を読んでいて

そんな大人の事情は理解するところだが、それと同時に感じた疑問は

「そもそも伝統芸能や文化は、収益が無いと日本から消滅してしまうのか?」

だった。

 

今日の伝統芸能は過去数百年の歴史を重ね、

日本の土着の興行・文化として浸透していった。

にも関わらず、収益を上げられないだけで

その国の文化から姿を消す可能性はあり得るのか?

ごく一部の狭い地域に根付いた民謡や舞踊とは背景が違う。

 

それを考察するために、そもそも文化として伝統芸能が成立する条件が

何かと考えた時、少なくとも「表現者が存在し続けること」が

必須条件だと至った。

 

つまりこれは色々言い換えれば、

伝統芸能が根付く背景を億レベルの市場規模とせず、

一般的イメージの興行的大成功に至らずとも、

表現者の生活が保証される環境がある。

ということを前提になる。

もしかすると、この時点で一般的なイメージから若干乖離しているかもしれない。

理由としては、様々な芸能の興行の過程に含まれる

ビジネスとして大きな収益を狙いにいく組織(レコード会社や協会など)の

都合を無視しているからだ。

 

そして、その表現者達を好むフォロワー(ファン)が存在し、

通貨を支払って彼らの活動を支えてくれることが大事だ。

 

これは貨幣経済が大前提にあり、

これをもって表現者が生きていくための最低条件が揃うことになる。

前述に一部矛盾するが、最低限の収益性を確保することは重要だ。

ただし、これはあくまでも表現者の活動維持が目的であり、

マネージメント組織への還元が目的ではない。

 

 

もう個人的な考えでしか無いんだけど、

商業的に大きく成功できるか否かを文化成立の指標に置くと

本来なら成立し得る小さな文化の存在を否定することになるんで、

結局は表現者が自分の成功をどう定義するかが重要だと。

 

あとの問題は表現の場、最低限の収益を上げられる場をどうやって構築するか

なのだろうけど、ネットを含めあらゆる手段があるから

わざわざ利益組織をバックにせずにも文化として成立するのではと思う。

 

 

ややこしい話だ。

もうちょい言葉の解像度を高められたら、またこのネタを書こう。

与太話でスマン。