培養X年目の与太話

培養、与太話

細胞培養と与太話で生きてます。

ひねくれた人間で申し訳ない ~テクノロジーとの向き合い方に自問自答~

私は性格がひねくれている。

自覚はあって、生来の性格、特性によるものと思っている。

これまで気を悪くした人も多いだろうが。

 

特に、テクノロジーに対する考え方は偏っているかもしれない。

ベンチャーに生きる人間である以上、テクノロジーについてはどこまでも

前向きに捉え、「これで世界が変わる」などと吹聴するのが普通かもしれない。

 

ただ、自分にはそういった姿勢が無い。

より正確には、昔はあったかもしれないが、様々な体験、

それに対する考察を重ねていくにつれ、

より中立的な立場から傍観する姿勢に変わった。

つまるところ、

「技術が発達したところで、世間は良くも悪くもならない」

「これまでの生活が、違う形で続いていくだけだ」

と思っている。

 

例えば、スマホが普及したことで確かにビジネス、

娯楽、創作活動など様々な部分が変わった。

ただ、根本的に人間の営みが変わったり、

営みを進めるうえでの悩みが解決されたかといえば、

全くもってそうではない。

人間関係はいつも悩みのタネであり続ける。

経済的な問題に悩む人もいる。

自分と他人を比較しては卑屈になったり、

自分のスキルや能力が高まったところで、

それで満足することなんて無い。

悩みは悩みとして、そこにあり続けるだけだ。

自分の行いを省みても、

Twitter のTLを見ていても、それを感じる。

 

じゃあ、その悩みですらテクノロジーで解決しようなどと

牧歌的に言う人もいるだろうが、

何に期待しているのだろうと思ってしまう。

能力や性格をインストールする未来技術の話を

始めたりする始末で、

いや、そこじゃねえだろと。

結局のところ、そこに人間が介在する限り

どこまでいっても結果は同じな気がしてきた。

まずい、またネガティブな発想に。

 

2年ほど前、仕事の関係者で思考実験を行ったことがある。

自分たちの技術が将来の世界をどのように形作っていくのか?

がテーマだった気がする。

綺羅びやかな世界観を掲げるメンバーが多い中、

自分だけかなり退廃的な世界感をプレゼンしてしまった。

 

記憶している限り、こんな感じだった。

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ある技術者がいた。

理系の大学を卒業し、

培養テクノロジー企業で技術職として働き始めて3年

一通りの仕事を覚えた頃だが、

イマイチ達成感も進歩も感じない日々を送っていた。

 

そんな時、ある娯楽に出会う。

バイオキューブと名のついたその玩具は

小さく包装された粉末袋、真四角の水槽、

水に溶かして使う粉末が入っている。

水槽の中で小型生物が生まれ、

というより、細胞レベルから発生して

個体を作るらしい。

一番興味深いのは、何が産まれるかは

時間が経たないと分からないところだ。

生活に変化を求めていた結果なのだろう。

 

自室に戻ってセッティングして、水槽を眺めてみる。

肉眼で確認できる程度の粒が見える。

ここからどう変化していくのか。

 

観察3日目

肉眼でハッキリとその大きさを視認できる。

早速こんなにも変化がみれるとは。

 

観察7日目

粒はさらに大きくなり、

ただの球形だった粒に形が見え始める。

よく見れば、角のようにも見える。

 

その後、主人公はみるみるうちに

変化していく生物を眺めながら

対して変化できない自分をか見つめることになる。

 

自分の外に対して変化を求めるのは限界がある。

変わるのは自身でしかないと悟っていく。

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当時の自分が病んでいたから

こんな世界観になったのかもしれないが、

今でもこの姿勢は変わっていない。

テクノロジーが変わっても、人は人でしかない。

自分の生活が根本的に変わることなど、ありえない。

 

正直、ベンチャーの開発人としては冷めているだろう。

では、自分は何をモチベーションに

開発に向き合えば良いのだろう。

真っ当な社会人であれば、仕事だからと割り切るのが

当たり前かもしれないが、そこを割り切れないのが

愚か者たる所以かもしれない。

でも言い換えれば、テクノロジーと人間の接点について

冷静に見つめることに執着できるのかもしれない。

 

ひねくれた人間で申し訳ない