培養X年目の与太話

培養、与太話

細胞培養と与太話で生きてます。

2022年 夏の考え事

コミケ(C100)行ってきました。

当日は待機列にいた最中に土砂降りになったりとイレギュラーがありました。

まだ入場規制などあるものの、前回C99に比べれば動員人数も増えて

コロナ禍以前の賑わいが戻りつつある様子でした。

 

今回も同人誌を色々と買ったので一部を紹介

毎度のことですが、技術系や食系の評論本エリアが盛況でしたね。

 

ほんと、アレコレ買った。右端の写真から説明すると、、
(右端)怪しいムックとかにありそうな内容作者は真面目なモノづくり界隈の人
(中央右)タイトル通り。業界人の作者が仕事で使った店などを紹介する。それにしても、なぜ麻布十番には芸能人御用達の店が多いのか?
(中央左)これぞ同人誌、という感じのやつ
(左端)体系的かつ易しい解説書。同サークルの過去作も読みましたが、作者の地頭の良さがうかがえます



即売会のようなイベントに足を運ぶと実感することとして、

作者のモチベーションは非常にシンプルだということです。

  • これが好き
  • コレを調べてみたい
  • これを他人と共有してみたい
  • 描かずにはいられなかった

そういったモチベーションには特別にロジカルな背景や意義があるわけでなく、

自然と湧き上がる欲求へ忠実に従ったという感じです。

運営サイドの気合の入れ方からも、創作文化を盛り上げたいという意気込みが伝わってきます。

 

興味深いこととして、

仕事などではロジカルな方が魅力的と考えがちですが、

即売会の頒布物やそれを支える文化の背景は

必ずしもロジカルでないにも関わらず引き込まれる魅力があります。

 

個人的な感想をいえば

イベントや作品の魅力は必ずしも理路整然とした理論や背景に基づくものではない

と感じました。

あるミュージシャンの言葉を借りれば

「創作活動では理性的な自己批判固執するのではなく、不条理すらも歓迎する姿勢が大事」

ということなのでしょう。

 

コミケを含め即売会文化には50年近い歴史があるそうです。

長い年月をかけて日本の創作文化の下地を作ってきた経緯には

自由な表現の場を作ることにこだわった運営者、

純粋に好いてやまない表現に臆せず挑戦し続ける参加者など

多くの純粋なモチベーション無くして到底実現できないことだったんじゃないかと。

先日、とある知人から言われた「文化の出発点は情緒から」と言われましたが、

ほんとにピッタリな表現だと思いましたね。

 

社会人をしていると行動への背景や意義を求めて

言葉をこねくり回す思考回路になりがちですが、

ロジカルでも無い純粋なモチベーションに由来するパワーに

目を向けても良いのかもしれない。

 

そんな風に思ったりした、夏の考え事。

(終)

panpanya の世界が好き

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なんてこと無い話

 

ここ1年近くPanpanyaの短編を気に入ってリピート読みしている。

初めて知ったのは上野駅駅ナカ書店で見かけた時だった。

店頭のオススメ新刊コーナーにあったのを手に取って衝動買いした。

買ったのは2021年の新刊「魚社会」だった。

画風が気に入ったというか、コミティアで頒布されてる同人誌の作風に親近感を覚えて

 

読んでみたら個人的に好きなところドストレートだった。

言語で表現しづらい浮遊感というか、

ちゃんと物語としての起承転結はあるはずなのに、どこか落ち着きの無い着地感

要は考察の余地があるってやつで自分がのめり込む要素が揃っていた。

キャラクターデザインも今まで読んだ作品の中で最も単純なのに、

喜怒哀楽がちゃんと伝わってくる。

風景を細部まで書き込む作風はキャラクターの感情表現を支えているように思えるし、

世界観の土台としてドッシリと存在する印象だった。

その後、創作仲間に貸したらベタ褒めで返信された。

 

ネットで調べてみたら作者は雑誌「楽園」で連載をしていること、

コミティアでの同人活動を経て商業へ転身したことを知った。

やはり手に取った時の感覚は間違っていなかったのか。

 

そして一番気に入ったのは、生活の中の何てことのない部分に注目して

そこから話を展開していくことだ。

毎日食べている魚

道路標識

テレビの占い

普段の散歩道

全てが些細なこと、でも見方を変えれば違った世界が見えてくる。

そんなことを実感させてくれる作品だった。

 

 

他著作

おむすびの転がる町 | panpanya |本 | 通販 | Amazon

二匹目の金魚 | panpanya |本 | 通販 | Amazon

グヤバノ・ホリデー | panpanya |本 | 通販 | Amazon

動物たち | panpanya |本 | 通販 | Amazon

蟹に誘われて | panpanya |本 | 通販 | Amazon

枕魚 | panpanya |本 | 通販 | Amazon

足摺り水族館 | panpanya, 1月と7月 |本 | 通販 | Amazon

 

 

 

 

 

余談

そういや、こういう身近に潜む面白さみたいな話について

the band apartの原さんも言及してたな

www.youtube.com

あの時に嗅いだかもしれない

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マスクを着けて外出してるんだけど、

ティッシュで鼻かんだり水を飲んだりする時にマスクを外すと

マスクを着けたままでは感じ取れない匂いが入ってくる。

そんな時に思ったけど、この2年弱でマスクを着けてたから

感知できなかった匂いがどれだけあるだろう?

  • 通勤途中の街や通りの香り
  • 草花の青臭い香り
  • 冬の海の潮の香り
  • 外で着ているアウターの香り
  • 通りかかった飲食店の香り
  • 行ってみた美術館の部屋の香り
  • スーパーの特売品の香り

マスクをずっと着けてると、マスクの布についた微かな薬品臭に慣れてきて

これが住んでる世界の香り全てじゃないか、なんていつの間にか錯覚してたり。

あの時に感じ嗅いだかもしれない香りを集めた香水とかあったら欲しい。

 

そう遠くないうちにコロナ渦が納まってマスクを外すことになったら、

(そっか身近なところにこんな香りあったんだ)

みたいに妙に驚いている自分がいるんじゃないかと予想している。

海が巨大な生き物に見えた

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去年11月に引っ越してから、家から海への距離がグッと近くなった。

気が向いたときは自転車を走らせて浜辺を散歩したりしている。

冬でも浜辺まで行けばうっすらと潮の香りがする。

でも、あの潮の香りってなんだろう?

今まではミネラル分が鼻に着くのかと思ったが実際は何なのか?

実際の研究文献を引用してみると「硫化ジメチル」という微生物の代謝

放出される成分らしい。

 

scienceportal.jst.go.jp

 

微生物があの潮の香りを作っているとなると、手で掬った海水の中にも

膨大な微生物がいるってことで。

そうなると海が微生物の塊だなんて解釈もできるわけで。

 

そういえば、ヒトも含めた動物も体内には膨大な数の微生物がいる。

腸内細菌とか皮膚表面の常在菌とか、多種多様な微生物と共存している。

そんでもって重要なのが、体内の生態系が宿主である動物の健康維持にも

役立っていることも研究で分かっている事実だ。

 

生物って微生物を宿した存在なわけで、そうすると

無数の微生物を同じように宿している海も広い意味で生物と同じかもしれない。

昔からある何処からが生物で、何処までが生物なのか?

みたいな議論があるけど、案外海も生物って解釈しちゃっても良いんじゃないか?

そうすると、地球も海も山も動物も全部が地続きな存在になる。

途切れているようで繋がっていると再認識できた今日このごろ

蛍雪の功を再解釈しよう

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つい数日前、関東の大雪で久々に積雪を見た。

夜に職場を出て、所々積もっているなかで自転車を走らせて帰ったのだけど、

夜にも関わらず外が明るくて驚いた。

道脇に積もった雪に街頭の光が反射しているようで、

日も暮れたのに夕方並に明るく感じた。

そんな状況を目にしていて、ふと「蛍雪の功」を思い出した。

確か中国の故事だったはずだ。

ある偉人が貧乏生活をしていたとき、火を灯す金にも困って

蛍や雪の光で本を読み勉学に励んだらしい。

「苦労してできた功績。苦学すること。」を意味する。

kotobank.jp

 

 

ただ、雪は見れるとしても、蛍を見れるなんて今どき珍しい。

都心とかじゃまず無理で、地方の水がキレイな場所にでも行かないと見れない。

そう考えたら、蛍の光って今の時代だと贅沢品なのかもしれない。

蛍雪の功だと清貧を連想させるけども。

 

昔は当時の都合で言葉を解釈していたのだろうけど、

今の時代にあった解釈があっても良いかもしれない。

 

蛍の光から連想される現代的なことといえば、

バイオテクノロジーを使った生物発光だろうか?

元々は蛍が光る原理(酵素による化学反応)を人為的に再現したものだ。

最近もオワンクラゲから取り出された蛍光タンパクの研究が

ノーベル賞になったことも思い出される。

これらの研究は実験用に細胞を光らせるために応用されたりする。

 

そして、ここ数年になってその応用範囲を日常生活へ

広げようとする動きも出てきている。

フランスには発光微生物を使って照明プロダクトを

作り出そうとするスタートアップも出てきた。

発光の効率は低いようだが、正真正銘の細胞を使ったモノづくりが進んでいる。

背景としては照明によるエネルギー資源消費を減らすサスティナブル志向がある。

en.glowee.com

 

さあ、そんことを踏まえて蛍雪の功を今風に捉えると

意外にも先進的なイメージが出てくる。

「苦労してできた功績。苦学すること。」ではなく、

「持続可能な方法で努力をする」という意味にも思えてくる。

あと20年もしたら辞書には全く違う解釈が載っていたりして。