培養X年目の与太話

思考の培養室

細胞を育てたり、与太話で生きてます。

あさみみちゃん コミックを真面目に解釈する

 

妻がどこからか貰ってきた「あさみみちゃん」のコミックを居間で見つけた。

ふだんこういう本は読まないんだけど、興味本位で読んでみたら、深読みがはかどった。

 

 

「あさみみちゃん」を読んでいて、まず浮かぶのは、今の社会そのものが自己肯定感を持ちにくい状態にあるのでは?という疑問だ。
この作品は、その状況を乗り越えるというより、すでにあるものとして受け入れたうえで成り立っているように見える。

 

あさみみちゃんは、多くの人にとって「理想の自分」を映す存在なのだと思う。
ただし、その理想は遠くにあるものではない。

決して手の届かないアイドルではなく、ネットの向こう側にいつもいて、少し手を伸ばせば触れられそうな距離にいる。
その気になれば、自分でもそうなれそうと錯覚できるくらいの近さに置かれている。

この距離感が重要なのかもしれない。
遠すぎないから身近に感じられる。身近だから推せる。

 

あさみみちゃんは、こちらの存在や行動を肯定してくれる理解者として描かれている。
ただし肯定は過剰ではない。特別扱いもしないし、持ち上げもしない。
あくまで一人の隣人として接してくる。その控えめさが信頼できるのでは。

 

同じ作中のキャラに、ダニーくんがいる。
ダニーくんは、あさみみちゃんとは対極的で、不安や自己否定を抱えやすい存在として描かれている。
実際には読者の多くは、理想像よりもこちらに強く共感しているのではないかと思う。うまくいかない自分のほうが現実には近いからだ。

相反する人格が同時に置かれていることで、あさみみちゃんの言葉は単なる理想論にならない。
理想に近い存在と、そこに届かない存在が並ぶことで、言葉が「正しさ」ではなく「関係性」として立ち上がる。
この構造が、作品全体の説得力を支えている。

 

さらに印象的なのが、あさみみの存在だ。
あさみみは不安を消そうとしない。

不安があることを前提にして、必要以上に干渉しない。
ただ、足りないところを埋めるようにそこにいる。
克服ではなく共存。その態度が、キャラクターのふるまいとして自然に示されている。

 

では、人はなぜ自意識過剰になるのか。自己肯定感の不足、理想の自分との乖離、他人の目や評価への過敏さ。理由はいくつも考えられる。
ただ、理解したからといって、すぐに自己解決できるわけではない。
その間には分厚い思考の壁がある。この壁を一人で越えるのは簡単ではない。

 

だからこそ、人はあさみみちゃんのような「重くないちょうどよい言葉」をセラピーとして求めるのだと思う。

 

不安をあるものとして受け入れ、自分の弱さと共存していく。
この作品は、不安を解消する物語ではない。

不安とどう付き合うか、その姿勢を静かに提示する本だ。
無理に変わらなくてもいい、と言いながら、視線の置きどころをわずかに調整してくれる。

 

その控えめな効き方こそが、多くの人に受け入れられている理由なのだろう。