言いたいことはタイトルの通り。
「結局は個人が食べたいものを食べれば良い。」
そんなことを感じた体験をしたので書きたいと思います。
強烈な天ぷらおばちゃん
ある晩、実家で色々作業をしていたら
「今日は外食にしよう」と言われ一駅離れた場所まで出かけることにした。
目当ての店は隣駅から徒歩2分くらいのところ
店前に大きく「有機野菜あり〼」とある。
どうやらそのような趣向の店らしい。
中に入ると元気の良いおばちゃん(60代後半くらい)が厨房から甲高い声で「いらっしゃい!」と言ってきた。中はややノスタルジックな雰囲気の和風内装だった。
席に着いてメニューを見ると、有機栽培の天ぷらが売りらしい。
それを頼みしばらく団欒していると、天ぷらが運ばれてきた。
おばちゃん曰く「EM農法」という方法で栽培された有機野菜を使っているとのことだた。初めて聞く話だ。おばちゃんは自分で畑をやっているらしく、そこで採れた野菜しか料理に使わないのだとか。
肉や魚も使われていたのを見る限り、菜食主義者というわけではなく、あくまでも自分の健康方針を邁進する人という印象だった。
EM農法とは土壌環境を改善する微生物を使った農法のことを指すらしい。
おばちゃんの口から窒素固定菌という専門用語が出たことから、それなりに勉強もしているらしい。 バイオフローラというどこぞで聞いた単語も出てきた。
EM農法では、微生物が入った液体肥料を畑にまくことで、土壌が肥え野菜の育ちも良くなるらしい。おまけに自然環境中に存在する微生物を使うため、幾らでも畑に撒いても良いのだとか。
なるほど、言ってることは分からんでもない。腸内環境も細菌の群集によって成立しており、善玉が増えれば体調改善にも繋がるとされている。善玉だけがいることが良いとは限らないのかもしれないが。
バイオの端くれである身分としては非常に興味深かったため、おばちゃんと色々話しこんでしまった。終いにはおばちゃんは
「これを見て!うちで作った野菜からは放射性物質が検出されないの!」
とその測定データまで見せてくれた。そこには放射性同位体のスペクトルデータと数値が記載されていた。ラボ時代に何度も見たことがある形式だ。
値は測定機器の検出限界1桁上を示していた。その値をどう捉えるべきかは判断ができなかったが、十分低いと言われればそうとも見える。
どこぞの畑をコントロールにしているのかは分からないが、言われれば何となく納得な話だった。
帰りがけにEM農法についての冊子をくれた。
「これ最後の1冊なんだけど特別ね。」
そう言って勿体ぶったような表情で渡してきた。布教活動だろうか。
天ぷらは普通に美味しかった。それがEM農法によるものかは分からない。
冊子を見ていて書いてあった「EM農法で農作業をすると良い菌を自然に体に取り込むことになるから、畑に行けば行くほど元気になる」という文章には度肝を抜かれた。
同席していた家族は「何か宗教染みてて胡散臭い」と話していた。
しかし一方で、胡散臭いものであってもおばちゃんが幸せならそれで良いではないか、とも思った。
何を食べるにしても、最後に決めるのは本人だ。
それが健康的、合理的なのかはあまり意味が無い。
最後は、それがその人の生活スタイルや体質にフィットすれば、それで良いということに他ならない。自分が食べたいものを食べれば、それが一番というものだ。
あとの問題は、個人の食を他人に強要してはくれるなよ、ということだ。
体質や生活のバッググラウンドは皆それぞれ全く異なっている。
「好きなものを食べれば良い」という言葉の本質は、「皆がそれぞれのバッググラウンドに合った食を選択する権利がある」ということでもある。
菜食を崇拝する人も世の中大勢いる。
しかし必ずしもそれが万人にフィットするとは限らない。
中には体質に合わず、肉食にシフトチェンジするする人もいる。
最後は他人の勧めではなく、自分で決めることが何よりらしい。
世界的に食について妙なことが起きている中で
かなり話は変わるが、最近気になるネット記事を読んだ。
フランスでは完全菜食主義者による肉屋襲撃が相次いでいるらしい。
事件を起こしたのは熱心なというよりも、「狂信的な菜食主義者の中でも、特に過激な一部の人間たちによるもの」とされていたが、実際大きな問題になっている。
そもそも、肉を食べるにも植物を食べるにも、同じ生物を殺して食べることに変わりは無い。高等生物だけが苦しみを感じ、それ以外は殺しにならないから大丈夫といいう主張には一種の人間の驕りが垣間見える。
何にせよ、このように違う方向性から食の自由や安全が奪われかねないのは問題だ。
誰にだって好きなものを食べる権利があるし、それを奪うことはあってはならない。
そう思う今日この頃です。