培養エンジニアの無駄話

笑える培養技術を創りたい

言語化の重要性に気づく

何でもそうだが、物事を言語化することは難しい。

ここ3年くらいでその難しさを痛感するようになった。

 

仕事でプレゼン資料を作成する時、

自分がなぜそのプランを推すかを説明しなければならない。

創作活動をする時、自分の感性が赴くままに創作するにしても

表現したいものは言語化されなければならない。

もっといえば、何が自分を創作に駆り立てたか他人に

共感して欲しければ、それを言語化するしかない。

 

殊に、世に無いものを他人に説明する、イメージしてもらう場合は

言語化の難しさや重要性が余計に際立つことになる。

 

ややこしいことに、人間が何かを考える時、モヤモヤとした感覚でいる時、

その想いをどう表現するかの答えは潜在的にはある程度存在するのだが、

それを言葉という顕在的な形態で表現しようとすると途端に躓く。

なぜなら、その言語化もまた、自分が表現したことが無いものだからだ。

これについては過去のCulture Square としての活動での感じてきた。

その時の自分が表現できる限界で、その都度本にまとめてきたが、

初期の頃の言葉の稚拙さは今でも恥ずかしいものだった。

内容を読めば子供が駄々をこねているのと何ら変わらない。

sciencecontents.hatenablog.com

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尚かつ、どんな事象に対してもその詳細を正確に把握するには

言語化のプロセスが必須になることも実感している。

例えば大学の卒業論文や研究論文

多くの場合、卒業論文を書き終えたあたりで

自分がやっていた研究のことを理解すると言われている。

これは日々の実験で得られた意味を「点」として捉えるならば、

一連の実験で蓄積された結果や考察を「線」として捉え、はたまた

その研究のモチベーションとなった背景を言語化し踏まえることで

「面」としての奥行きを得るに至る。

恐らくこの域に到達することが、他人からの共感を得る段階なのだろう。

 

この考え方は今となっては研究だけでなく、

仕事や創作活動全てに当てはまると理解した。

 

この言語化の作業を重ねることで物事を体系的に捉える癖が身につき、

目的を達成するために重要なことが芋づる式に見えてくることがある。

昔よりも容易に言語化できるようになったことも感じている。

 

 

言語化の難しさを納得がいくように言語化出来ないことへの

もどかしさを感じつつ、今回はおしまい。

 

 

最後に、言語化の難しさについては、ミュージシャンの平沢も言及している。

(以下動画の6:00 ~参照)