またまた申し込みました。
次回に向けて鋭意準備中です。
どうぞご期待下さい。
C96にも無事申し込みました。何が出るかは自分たちにも分からない。
— Keita T.@色々模索中 (@keitasciencecg) 2019年2月21日
また相方@hssystk と頑張ります。受かれ!!!
サークルカット:take @hssystk pic.twitter.com/Pp0jzHTBTu
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また相方@hssystk と頑張ります。受かれ!!!
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創作活動の目的は何か?と聞かれて困ることがある。
「単に表現したいことがあったから」とクリエイター志望者のようなことをいうことも出来るが、本当は違う。
どちらかと言えば、
「自分の揺るがない世界が欲しかったから」
というのが現時点で最も正確な回答だと思う。
唐突だが、日々仕事や生活をしていると、能力面やバックグラウンドでの周囲とのギャップに悩まされることがある。
どこぞの若者に媚びた歌のように「自分らしく生きればいい」という言葉では片付かない。
そんな中で改めて挑戦することにしたのが、自分の個人サークルでの活動だった。
sciencecontents.hatenablog.com
創作活動をしている間は、良い意味で自分は孤独でいられる。
その孤独の中から出てきた世界は、何かしらのインスピレーションを受けているとはいえど、自分からしか出てこない話だ。
例え能力面で圧倒されようが、自分の世界が揺るがない限り元気に生きていくことはできる。
活動が進むにつれ少しづつ自身が湧いてくる。
より具体的な活動に舵を切ろうと思うようになった。
だけど今はまだ、この活動を将来の仕事にしようなどとは思っていない。
専門はバイオ(組織工学)だが、表現の世界はとてつもなく広いことを最近実感している。
仕事の関係でクリエイターとして働く人とも付き合いがある。
彼らの表現やバックグラウンドは輝かしさがあり、今の自分と比べると圧倒的に優れたアウトプットを可能にする(当たり前だが)。
そんな中で働いたら、余計に周囲とのギャップに苦しむことになるだろう。
だからこそ、今は創作活動という距離感で自分のテーマである「細胞培養」と向き合うのが良いのかもしれない。
今年のテーマは「葛藤と鬱憤晴らし」かもしれない。
日々のモヤモヤ、不満から生まれた想いや世界観を創作活動という形態で発信し、共感してくれる人を探したい。
そして叶うならば、共に表現する仲間を見つけていきたい。
最近、何をするにも型が必要だと感じた。
これは前回の話にも通ずるところがある。
sciencecontents.hatenablog.com
例えば、ゼロから何かを創ろうとする。
時間をかけても中々思った風には進まない。
なぜなら型が無いから。
何も無い状態から作ろうとすると、どこかで変なプレッシャーを感じ始める。
こうしたケースは日々の仕事の資料をつくる場合によくみられる。
ここ最近、「変な背伸びは止そう」という心構えができ始めた。
というのも型が無いと何もアウトプットできない自分がいたからだ。
もっといえば、型が無い状態で仕事をすると時間が掛かり過ぎて睡眠時間、創作活動、家事に割く時間が極端に減っていく。
この状態は何としても改善しなくてはならない。
そう感じている。
前回の記事の続きです
(前回記事はこちら)
sciencecontents.hatenablog.com
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培養器を買ってからというもの、仕事から帰宅してから培養器の中を眺めるのが日課になっていった。
何か変化をもたらすような驚きがあるのではと期待しながら。
観察を始めた初日、まだ培養液の中に変化は見られない。
時折出る泡を眺めながら時間が過ぎていく。
観察を始めて3日目
容器の中で何か小さい粒のようなものが形成され始めた。
1週間目
肉眼でも簡単に確認できるほどに育ったその粒子が複数できている。
2週間目
粒子は2 cm程の大きさに成長している。
少しずつではあれど、確実に変化をしていく粒子に対し、ある種の愛着を抱くようになっていく。
この時期から、男のつぶやき癖が始まった。
「今日も浮いてるなぁ」「お前は何になるんだぁ?」
など他人からすればどうでも良いことを培養器に向かって呟くようになる。
1か月後
粒子は5cm程度の大きさに成長してきた。
最終的に何ができあがるのかは、まだ分からない。
そして培養器の中の球体から突起が出始めるころ、思った。
「コイツは毎日変化しているのに、俺は全く変わらないよなぁ」と。
培養器が来てから、生活には何となくの変化が現れた。
だが、それを眺める自分には、本質的に何の変化も無い。
そしてある日、主人公は自身の内面に変化を求め始める。
本当の意味で毎日を変えていくために。
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以上が思いついたアイディアだった。
このような形になったのは、その時の自分をストーリーに投影させたためだ。
等身大の自分で描けた、とも言える。
丁度この時、自分は色々と悩んでいた時期だった。
自分が生み出せるものの限界、能力の限界など挙げてみればきりがない。
しかし、その一方でこれは伸びしろがあることも意味する。
不安の中に微かにある期待を込めた作品になった。
もう1つ思うところがある。
いつになるかは分からないが、培養肉が家庭に実装されるタイミングは必ず来る。
しかしそれでも、人間の本質的な部分「何に悩むで生きるか?」は
数十年経っても、どんなにテクノロジーが進化しても変わらないのでは?という疑問を含ませている。
スマホを含めた情報技術により、確かに世界はアップデートされた。
それでも人間の悩みが解決されたかと言えば、全くの間違いだ。
むしろ情報に曝されることによる悩みの方が増してきている気がする。
これから10年以上、自分は培養肉で世界を変えるというビジョンを持ちつつも、それがどのように人々の悩みを解決するのか?さらには、どんな個人のストーリーを描いていけるのか?を問い続けたいと思う。
これが自分の中で一番しっくりくる創作活動だ
あるイベントにて、こんな企画をやった。
「細胞培養をテーマにした漫画のストーリーを考えて発表しよう」
しかし困った。ストーリーなんてそう簡単に出てくるわけではない。
しかし、こういう場面になると、どうしても人間見栄を張りたくなる。
自分が全く触れたことの無い世界観を演出してみたくなる。
しかし、中々面白いストーリーなど出てこない。
出てきたとしても物語の方向性が発散しまくる。
まとまらない。
それも当然、壮大かつ鮮明な世界観など自分の中には存在しないから。
そこで思いついたのは、徹底的に自分の生活状況を反映させた物語にする、というものだった。
自分の生活に即した物語であれば、具体的に考えることもできるし、余計に展開が発散することもない。
主人公には「自分ならこうする」という行動をとって貰い、人々の共感を得られるようなものにすればよい。
その時に自分が考えたのは、一言でいえば「退廃的なSF」だった。
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一連の物語は、ある男が自宅のワンルームアパートの床に寝そべりながら、培養器の中に浮かぶ細胞の塊にブツブツ呟く様子が描かれる。
なので、特に画角が変わることも無く、同じような画が続くことになる。
男はその時代(恐らく20~30年後)の培養肉工場で働く25歳
働き始めて3年、仕事にも慣れ、大きな変化を感じることの無い日々をおくっていた。
来る日も来る日も同じ作業をする毎日。
AIがこれだけ発達した世界でも、人の手でやらなくてはならないことは多い。
「そろそろ生活に刺激が欲しい。もっと生活を楽しくしたい」
そう思うようになっていた。
具体的なプランなど無いくせして。
そんな矢先、男はネット通販サイトで「パーソナル培養セット」の広告を目にする。
それは培養器と何の細胞だか分からない乾燥粉末が袋詰めにされた商品だ。
当然、培養したとしてもどんな形状になるのか?どんな生物になるのか?
そもそも生物なのか?分からない。
この何となく殺風景な自分の部屋に培養器を置いたら、多少は生活が楽しくなるかもしれない。そんな思いで購入を決める。
しばらくして商品届いた。
梱包を解くとコーヒーメーカーくらいのサイズの機械が出てきた。
やや武骨な見た目だが、それもまた好奇心をくすぐる要素だ。
早速付属の液体と細胞粉末を入れて電源を入れた。
細胞がどのような変化を見せるのか?
また、それが自分の生活をどのように彩ってくれるのか?
楽しみで仕方がなかった。
(以下続く)
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長くなるので、また別で投稿します。
ワークショップで発表した時、
現場からは「普通に病んでるけど、非常にそそられる部分がある」と評価を頂いた。