培養X年目の与太話

培養、与太話

細胞培養と与太話で生きてます。

【続】等身大で描いた創作が一番しっくりくるし面白いという話

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前回の記事の続きです

 

(前回記事はこちら) 

sciencecontents.hatenablog.com

 

 

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培養器を買ってからというもの、仕事から帰宅してから培養器の中を眺めるのが日課になっていった。

何か変化をもたらすような驚きがあるのではと期待しながら。

 

観察を始めた初日、まだ培養液の中に変化は見られない。

時折出る泡を眺めながら時間が過ぎていく。

 

観察を始めて3日目

容器の中で何か小さい粒のようなものが形成され始めた。

 

1週間目

肉眼でも簡単に確認できるほどに育ったその粒子が複数できている。

 

2週間目

粒子は2 cm程の大きさに成長している。

少しずつではあれど、確実に変化をしていく粒子に対し、ある種の愛着を抱くようになっていく。

 

この時期から、男のつぶやき癖が始まった。

「今日も浮いてるなぁ」「お前は何になるんだぁ?」

など他人からすればどうでも良いことを培養器に向かって呟くようになる。

 

1か月後

粒子は5cm程度の大きさに成長してきた。

最終的に何ができあがるのかは、まだ分からない。

 

そして培養器の中の球体から突起が出始めるころ、思った。

「コイツは毎日変化しているのに、俺は全く変わらないよなぁ」と。

培養器が来てから、生活には何となくの変化が現れた。

だが、それを眺める自分には、本質的に何の変化も無い。

 

 

そしてある日、主人公は自身の内面に変化を求め始める。

本当の意味で毎日を変えていくために。

 

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以上が思いついたアイディアだった。

このような形になったのは、その時の自分をストーリーに投影させたためだ。

等身大の自分で描けた、とも言える。

丁度この時、自分は色々と悩んでいた時期だった。

自分が生み出せるものの限界、能力の限界など挙げてみればきりがない。

しかし、その一方でこれは伸びしろがあることも意味する。

不安の中に微かにある期待を込めた作品になった。

 

もう1つ思うところがある。

いつになるかは分からないが、培養肉が家庭に実装されるタイミングは必ず来る。

しかしそれでも、人間の本質的な部分「何に悩むで生きるか?」は

数十年経っても、どんなにテクノロジーが進化しても変わらないのでは?という疑問を含ませている。

スマホを含めた情報技術により、確かに世界はアップデートされた。

それでも人間の悩みが解決されたかと言えば、全くの間違いだ。

むしろ情報に曝されることによる悩みの方が増してきている気がする。

 

これから10年以上、自分は培養肉で世界を変えるというビジョンを持ちつつも、それがどのように人々の悩みを解決するのか?さらには、どんな個人のストーリーを描いていけるのか?を問い続けたいと思う。

 

これが自分の中で一番しっくりくる創作活動だ