去年末に久々に帰省したんです。
年末はイベントやら仕事やらで忙しく動き回ることになるんで、
正月はひたすらのんびり過ごしたりしてました。
正月に家族が集まれば、面倒だけど雑煮くらい作るかなんて話になる。
ですが、何なんですかね?
ウチの雑煮はやたらと具が少ない。
我が家の雑煮
雑煮ってアレコレ具が入ってるから雑煮って言うはずなのに、
いつも八頭(やつがしら)と焼いた餅だけなんです。
もっとこんな、鶏肉とか葉物とか人参とか入ってるのが雑煮のイメージのはず。
雑煮概念
今どきコレほど質素な雑煮にナカナカ出くわさないのでは?
日本一質素なんて言われる名古屋の雑煮だって申し訳無さ程度に葉物が入ってて
彩りに気遣っているのに。
どうしてウチはつまらない塗り絵みたいなレシピになのだろうか?
正直、刑務所の雑煮の方が豪勢のはずです。
祖父に聞いてみると、ウチは百姓時代からずっとコレで
子孫繁栄さえ実現できれば家は続く、の精神で毎年食い続けてきたらしいです。
具が少ないことの理由になっていないんですが。
結局はウチの雑煮は一種の生存戦略だったと思うんです。
百姓であったいじょう常に十分な食料がありつけなかったはずだし、
決して裕福な家ではなかったはず。
そんな中で最小限の縁起の良さを担保しつつ腹を満たす策として
編み出されたのが我が家のジェネリック雑煮なんじゃないかって考えたんです。
そして、いつしかその習慣が質素倹約を良しとする発想に転じたことで
決して貧乏でもなくなった現代に続いてるんじゃなかろうかって。
雑煮一杯からでも家系の色が見えてくる家の歴史
現代の自分の食卓に並んでるってことは
歴代先祖たちが違和感を感じることなく食べ続けた結果という意味なので、
ここで豪勢路線に転向するのも何か勿体ないんですよね。
だからこれからも具はずっと2種類でしょう。
100年後の子孫たち、まだ雑煮の具は2種類ですか?