遅ればせながら、夏コミお疲れ様でした。
本サークル Culture Square は参加が2回目となった。
備忘録、反省、反芻の意味を込め、本作制作を通じての感想を書き記しておく。
夏コミ3日目西2か5aにて頒布予定の新刊が完成しました。Take @hssystk との共著です。
— Keita Tanaka@細胞農家修行の身 (@keitasciencecg) August 1, 2019
技術書ではなく人間生活の中で培養肉が存在する必然性を問う評論本(?)です。
企画:keita, take
デザイン:take
文章:keita, take#C96お品書き #夏コミ新刊 pic.twitter.com/pkCUFJdDex
サークルの相方 Take とは培養肉のイメージや一般生活の中での実装について、ここ1年ずっと議論してきた。
なぜ培養肉を実装する必要があるのか?どこにその必然性があるのか?宇宙での生活といった限定された用途ではなく、未来の日常の中で存在する意味がどこにあるのか?
読み手に共感を持って貰うにはどのような表現が必要なのか?
そもそも、今の培養肉のコンセプトは一般の人が共感しうる要素が少ない。
宇宙好きやSF好きの人間からすればど真ん中のコンテンツかもしれないが、それ以外の人達の存在は?
SF好き以外からすれば、培養肉は「将来実現されるかもしれない凄そうな技術」でしかない。
動物を殺さない、環境負荷が低い、といったメディアで取り上げられる社会的なメリット以外で何も意義を感じないだろう。
詰まるところ、彼らからすれば培養肉を自分が使う意味や必然性は無いのだ。
「これならウチにあっても良いかもね。自然だよね。」の要素が無い。
世間的にはテクノロジー好きな人間、一部のジャンルのコンテンツ好きの人間たちの興味対象の域を超えられない。
本サークル Culture Square はここに疑問を持ち、培養が実生活に取り入れられる意味を創作という形で探求している。時には外部の人とも議論の場を設けている。
様々な表現を試しているが、シックリくる表現が出来るのはまだこれからだと思っている。前作と比べれば格段にクオリティーは上がったと実感しているのだが。
そんなことを思っている最中、例年のようにサークル参加しているコミケでヒントを得た。
ヒントの種になったのが YOMEYUMEさん他が制作した作品「YOMEYUME」だった。
これは二次元嫁の夢の続きを見るために、彼女たちをモチーフにした建築を提案する本だった。
【C96告知】
— YOMEYUME (@YOMEYUME1) July 31, 2019
新刊入稿しました!
2次元嫁をモチーフに建築を設計するYOMEYUME本の2冊目です。
[新刊]YOMEYUME2
・つばさハウス
・藤和エリオの家
・歳納京子の家(ゲスト:Abeshie*様 @kyoko_tosinou )
A5判 フルカラー 70P
¥500/冊
既刊・新刊の内容はリプ欄をご覧下さい!#C96 #C96告知 pic.twitter.com/N7skopUUzM
単純に建築を専門とする人間が、二次元嫁のためにその専門性をいかんなく発揮すること自体にも驚きなのだが、何よりも気になったのが同じキャラを読めとするファンからの反響だった。以下ツイートを引用
さっきの RT の、建築設計が徐々に進んでいくモーメントを読んでたのですが、羽川さんへの理解というか愛というかがどこまでも素晴らしすぎて、いま電車の中なんですけど軽く泣いてしまって…。https://t.co/W3cs9zN544
— Hash@多忙 (@hash_monogatari) August 12, 2019
同じキャラへの愛を持つ人間だからこそ深く突き刺さる共感を感じた。
二次元嫁は決して現実世界に出現することはない。
一方で彼らからすれば、脳内の仮想空間だけであったとしても、二次元嫁の存在は今確かにそこにある「リアル」として共有できる要素だ。
この「共有できるリアル」というのが重要なヒントだと感じている。
培養肉というものを今ここにあるリアル、言い換えれば今の自分を取り巻く生活、環境、感情とどこまでリンクさせられるか、それが重要だと感じた。
さらに言えば、同じ嫁を持つ人間という特定の読み手がいることも重要だと言える
読み手に届くためには、まず読み手の像を具体的にしなくてはならない。
言い換えれば、誰に書くのかを明確にする必要がある。
(むしろ今まで ↑ を考えずに書いていたから驚き)
次回はこれまでの流れを汲みつつ、コンテンツの趣向や構成に工夫を凝らしたいと思っている。
非常に難しいが、今後が楽しみだ。