つい数日前、関東の大雪で久々に積雪を見た。
夜に職場を出て、所々積もっているなかで自転車を走らせて帰ったのだけど、
夜にも関わらず外が明るくて驚いた。
道脇に積もった雪に街頭の光が反射しているようで、
日も暮れたのに夕方並に明るく感じた。
そんな状況を目にしていて、ふと「蛍雪の功」を思い出した。
確か中国の故事だったはずだ。
ある偉人が貧乏生活をしていたとき、火を灯す金にも困って
蛍や雪の光で本を読み勉学に励んだらしい。
「苦労してできた功績。苦学すること。」を意味する。
ただ、雪は見れるとしても、蛍を見れるなんて今どき珍しい。
都心とかじゃまず無理で、地方の水がキレイな場所にでも行かないと見れない。
そう考えたら、蛍の光って今の時代だと贅沢品なのかもしれない。
蛍雪の功だと清貧を連想させるけども。
昔は当時の都合で言葉を解釈していたのだろうけど、
今の時代にあった解釈があっても良いかもしれない。
蛍の光から連想される現代的なことといえば、
元々は蛍が光る原理(酵素による化学反応)を人為的に再現したものだ。
最近もオワンクラゲから取り出された蛍光タンパクの研究が
ノーベル賞になったことも思い出される。
これらの研究は実験用に細胞を光らせるために応用されたりする。
そして、ここ数年になってその応用範囲を日常生活へ
広げようとする動きも出てきている。
フランスには発光微生物を使って照明プロダクトを
作り出そうとするスタートアップも出てきた。
発光の効率は低いようだが、正真正銘の細胞を使ったモノづくりが進んでいる。
背景としては照明によるエネルギー資源消費を減らすサスティナブル志向がある。
さあ、そんことを踏まえて蛍雪の功を今風に捉えると
意外にも先進的なイメージが出てくる。
「苦労してできた功績。苦学すること。」ではなく、
「持続可能な方法で努力をする」という意味にも思えてくる。
あと20年もしたら辞書には全く違う解釈が載っていたりして。