培養X年目の与太話

培養、与太話

細胞培養と与太話で生きてます。

技術の社会実装も結局は金だと思った話

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培養技術ベンチャーに努めて3年目になろうとしている。

相変わらず研究開発の現場にいるのだが、

最近は金の計算をすることが増えている。

人件費、研究開発過程で使う資材費、資料作成費 etc....

社外へ共同研究の提案をしたりするのが理由だ。

社外に何かしら提案をする際、必ずと言うほどに金の話題になる。

特に企業にとってはベンチャーとの共同研究は一種の投資行動になる。

そこから如何なる成果物(技術、原料)を生みだし、製品やサービスに昇華させ

投資金額を回収し、投資以上の利益をあげられるかが注目される。

そんなやり取りをする中で、新規技術と金について

新しい視点を持つに至った。

そんなわけで今回は、新規技術と金について気がついたことを書いてみる。

 

企業が参加し始めた背景 

培養食肉を初め、細胞培養技術を活用した食料生産へ

企業(産学官の"産" )からの注目が集まりつつ有る。

一昨年まで日本国内の大企業の参画が確認できなかったのだが、

ここ1年で名だたる複数の大企業が名乗りを上げたのを踏まえれば、

技術の社会実装に向けまた一歩進んだことになる。

 

この事実は培養技術が夢見がちなテクノロジーとしてでなく、

サービスや製品に応用が検討される、やや現実的なテクノロジー

変わりつつあることを意味している。

 

mainichi.jp

 

その一方で、現場の人間目線で言えば技術そのものの

成熟レベルは理想の状態から程遠い。

そうすると、今後3~5年くらいで研究開発現場にいる人間達が

どこまで技術の確度を高めていけるか?

サービスや製品を伴う事業成立への道のりにどこまで向き合えるか?

の分岐点に差し掛かったとも言える。

 

ここで、新技術から新しい製品や新しいサービスを生み出すために

技術サイドから必要なアプローチは何か?を明確にしなくてはならない。

サービスや製品が事業として成立する側面だけを考えれば

それは「マネタイズできるか?」「儲かるのか?」なのは必然だ。

では、その「マネタイズできるか?」「儲かるのか?」を実現するのに必要な

技術的な要素は何か?

 

なぜこんなことに拘るかといえば、冒頭の話が関係している。

初めから儲かるを確度が高い新規技術は少ない。

様々な老舗企業も「何か新しいもの」を求めて注目するものの、

どうやってマネタイズすれば良いか?の答えを出せないことがほとんどだ。

経済活動をしなければならない前提がある以上、

基礎研究から出てきた技術もその前提に従わなくてはならない。

利益が生まれないものには人は集まらない。

人が集まらなければ産業にはならない。

産業にならなければ、分野としての技術が成熟することもなく、

使用方法が簡易化、一般化されたツールも生み出されず、

それらのユーザーを背景とした文化も生まれない。

 

Twitterで良い指摘を見つけたので参考までに。

 

ではマネタイズに寄与する技術要素を挙げてみる。

研究開発の目線で、以下の4つを思いついた。

  1. 技術的ユーザビリティ(再現性、簡便さ)
  2. 生産工程の低コスト化
  3. 差別化に足る技術的間口の広さ
  4. 消費者から見た技術イメージ

 

1.技術的ユーザビリティ(再現性、簡便さ)

一言で言えば誰が、どこで、やっても再現できることを意味する。

現行の培養技術は手作業でやるものがほとんどで、

扱う細胞や材料、操作内容によっては熟練者でしか成功しないものも少なくない。

iPS細胞研究は正にその最たるものと聞く。

しかし、産業技術としての大規模な利用、

究極的にはユーザーに一般消費者まで含まれるとなれば、

多少なりとも大雑把な作業内容でも、同様に機能してくれる技術で

あることが求められる。

ここ数年で個人でDIYでバイオ実験を行う人も増えつつあるが、

その中身はまだ安定しているとはいえない。

scienceportal.jst.go.jp

 

その際に考えられる実現方法としては、作業の自動化と簡便化があるだろう。

例えば、最近では培養操作の自動化技術も進みつつあり、

コストを度外視すればiPS細胞を自動で培養するロボットも開発されている。

 

簡便化については、自動化と密接に関係すると考えている。

ユーザーが全ての操作や機械の機構を理解せずとも使える様にする。

例えば、細胞を大量に培養するリアクターでは

温度、液流量、撹拌(液のかき混ぜ)パラメーターを調整しなくてはならないが

これらの調整には多くの経験を要する。

将来的には一般消費者が調理目的で使うとするならば、

扱うパラメーターはもっとシンプルになるはずだ。

食料でいえば「柔らかさ」「大きさ」「香り」「脂クラス」だろうか。

 

2.生産工程の低コスト化

培養して生産したものが最終製品、サービスとして成立させるには、

利益を一定水準まで高められるレベルまで生産コストが下がる必要がある。

残念ながら現行の培養技術は、相変わらずその要求に応えられない。

少なくとも1/100、理想は1/10000までのコストダウンが求められる。

また、論文やメディアなどで取り上げられているコストは

培養コストでの話であり、ビジネス特有の現実的金銭

「人件費」「販管費」「場所代」「設備費」など

含まれていない項目が多く、それらの計算も含めて実現性が証明されなくてはならない。

このあたりで既に心が折れそう。

何分管理が嫌いなもので。

 

3.生産工程の低コスト化

最終製品を企画、差別化し易いくらいに技術に間口の広さがあること

例えば、細胞で機能性成分を生産する手法があったとする。

この細胞から1種類の成分しか生産できなければ企業間での差別化は難しいが、

製造工程の工夫により幅広い成分を作れるのであれば

各企業の製品コンセプト、目的、ブランドに合った製品が企画・開発できる。

システムを構築するために必要な根幹部分は同じ要素が必要であることには

変わりないはずだが、そこからカスタマイズできる幅をどのように確保するかが

重要になりそう

現場でもここまで考えたことは無かったから、まだまだ具体的にする必要がありそう

 

4.消費のメリット

培養食料に限っていえば、多くのスタートアップが環境問題から派生する

サステナビリティを大目的にしているのだが、

実際はサステナビリティを消費者サイドのメリットとして売り出せるかは

微妙なところだ。

確かに解決すべき課題ではあるものの、消費者が使って自分自身のメリットに

還元できるイメージがつきづらい。

社会奉仕を至上とする消費者がいれば話は別かもしれないが

sciencecontents.hatenablog.com

 

社外相手に培養食料の提案資料を作る際も、やはりサステナビリティだけで

攻めようとしても中々資料が仕上がらない。

やはり消費者にとっても親しみがあるメリットとして、味や機能性で

説明をしないと内容が弱くなって仕方がない。

こんな独特な苦労も今後増えるのかもしれないと思っている。

 

 

と、ざっとこんな感じだろうか。

今の自分にはここまでしか言語化できない。

半年後くらいにより具体的に言語化してみるとしよう。 

 

数年前までは純粋に技術だけを追い求めていた人間だったのだが、

最近となっては如何にして企業に振り向いて貰えるかばかりを考えている。

実装のために絶対に必要なものだとポジティブに捉える一方で、

汚い人間になったなと己の変遷を顧みた。

 

本日オススメの曲

堀込泰行『さよならテディベア』

 

将来的な「食っていける」の話

「それでは食っていけない」

ベンチャーを含め、自由な生き方や働き方をする人がまわりに多いせいか、度々そんな言葉に出くわす。

 

「食っていけない」

確かに問題だ。

食えないと生理的にダーメージが来る。

生き永らえることはできないだろう。

頼りにできる存在が無い限り野垂れ死にだ。

自分だけならまだしも、家族など養う人間がいれば尚更だ。

この生理的な欲求からくる制限を満たすことを理由に、

多くの人間が自分の生き方を捨ててきただろう。

 

ベンチャー、芸能人(ミュージシャンや芸人とか)、フリーランス

様々な業界業種で、食えるか食えないかの苦境に立たされる人は多い。

 

では、仮に無収入でも最低限食事だけでも

絶対に保証された生活があるとしたらどうだろう?

例えが極端だがホームレスの人たち

彼らも常に食えるか否かの瀬戸際の中で生きているが、

食事だけでも保証されたらどうなるだろう?

少なくとも餓死することは無い。

服は買えなくとも、住居を構えることはできずとも、

趣味の本は買えなくとも、死ぬことは無い。

必ずハッピーという保証は無いけれど、

最悪の事態を逃れることはできる。

 

そもそも食えないという状況がなぜ発生するかといえば、

単純に食料を買うための金が無いからだ。

当たり前のことを言ってるだけだが、

ほとんどの人間にとって当たり前過ぎて

話題に出されることもない。

 

ではこの状況を打破する方法が無いかといえば、そうではない。

光熱水費を度外視して食欲を満たすだけで考えるのであれば、

極論自分で食料を生産できれば問題ない。

そして、それは既に一部実現している話でもある。

家庭菜園をやっている人、自分で鶏を育てて肉や野菜を作り出す人がいる。

手間は掛かるが、自然の力だけで生きることはできる。

もちろん、娯楽とか現代的な恩恵は受けづらいだろうが。

 

話はだいぶ飛躍するが、派生する話題として培養で

食糧生産できたらどうなるか?がある。

言い換えれば、個人での食糧生産が一般化され、

少なくとも食える生活が誰でも手に入る状態だ。

「食えない」が解決された世界では、

好きなことをやって生きていくための

心持ちも違ってくるかもしれない。

 

ただし、培養の材料が無料で手に入る条件下において、だが。

異国の謎お爺

去年の10月に培養肉学会に参加する目的でオランダへ出張に行った。

高校の卒業間近に台湾に渡航したことはあったものの、ほとんど日本と同様に歩けてしまったから実質これが初海外、初ヨーロッパだった。

会社のメンバーが忙しかったのもあり、自分独りだけでの行動になった。

 

オランダの首都アムステルダムにあるスキポール空港に到着して初めに思ったのが、オランダっぽさが外の風景にオランダっぽさを感じないことだった。

風車やらチューリップ畑の風景は日本人の勝手なイメージらしい。

鉄道に揺られて目的地のマーストリヒトに向かうまでの車窓は、山手線の大崎近くのような風景だった。

 

2時間以上を掛けてマーストリヒトに到着したときには既に20時を越えていた。

マーストリヒトは田舎町とは言われたものの、首都ほどとは言わないまでも、ブティックやショッピングモールなど都市型の機能をある程度有している、地元のさいたま新都心に近い。

 

現地を歩いてみれば、レンガ造りの伝統的な住宅が並ぶ。

民家というよりは現地独特の貸家形式らしい。2階が居住スペースで1階に店舗が入っているのも多い。

22時を回っても通りのレストランには人が絶えない。

結構夜ふかし好きの人が多いのかも

 

 

妙にエモい通りがあったり。

 

印象的だったのは学会会場近くにあったスーパーマーケットに植物肉コーナーがあったこと

日本とは違ってベジタリアン人口が多いからだろうけど、

スーパーの一角にそれなりのスペースを陣取っていることから参入している企業の多さがうかがえる。

 

そんな見慣れる異国の光景を楽しみつつ本来の目的の学会にも参加し、

帰路についた時の話

 

鉄道に乗ってスキポール空港に向かう途中に乗り換えのため、ホームで荷物片手に列車を待っていた。

そこに70歳くらいの現地ご老人が通りかかって話しかけてきた。

 

お爺「君日本人か?」

自分「せやで」

お爺「そうか。アジア人とは思ったけど中国人なのかもしれないと思ったから」

自分「ああ」

お爺「娘が付き合ってる彼氏が中国人でね。二人共上海で働いているから、これから会いに行くの」

自分「上海までですか?」

 

いきなり話しかけてきたので面食らったが、それにしても何でまた異国の地で他人の娘の彼氏事情なんて聞かなくてはならないんだろう?

旅の一興なのだろうか?

 

お爺「ところで、君はカタオカという日本人を知っているか?」

自分「カタオカ?有名な人なんですか?」

お爺「日本に行ったらカタオカに会えと言われてるんだ」

自分「そうなんですか。東京にいる方でしょうか?」

お爺「分からないよ。フフフフ」

 

お爺はそのまま話を終わらせて歩いていってしまった。

何だったんだろう、あの爺ちゃん

あとカタオカって誰だ?オランダ現地で有名な日本人なんだろうか?

よく異国の地で何かしらに貢献して、長年現地人に語り継がれてる日本人みたいなやつだろうか?

 

知る由もなくモヤモヤした状態で空港に着いて飛行機に乗った。

モヤモヤした状態だったのでフライト中に見た「翔んで埼玉」も頭に入ってこなかった。

情報遮断と無数のストーリー

行ったことがない下北沢に行きたくなって下北沢に向けてサイクリングをしていた。

走っている時に制作相方のヨシタケ・ヒサシから連絡が入る。

この映画見に行かないか、と。

幸いなことに重要な予定があるわけでもなく、原宿の近くまで来ていたのもあって合流することにした。

結局だいぶ走ったのだが。

 

www.spiral.co.jp

 

さて、先日見たこの映画は、単なる映画というよりは現代アート作品に近いものだった。

会場は一切の光が無い暗闇

そこに立体音響を使って四方八方から様々な環境音が流れる。

ナレーションは無く、本当に音しか無い。

だから明確に登場人物が誰とか、どういうシチュエーションだとか、何が主題なのかは提示されない。

途中10分くらい寝落ちしていたけど、70分間作品を"聞き続けた"。

 

 

ここからは作品を体験しての感想なんだけど、この作品は人間の感覚を研ぎ澄ませてくれるのかもしれない。

「視覚が情報ソースの8割」だとか話がある通り、通常の映画は視覚的情報がスクリーンに映し出されることによってストーリー展開、登場人物やその関係性を認識することになる。

ここで重要なポイントは、通常の視覚的映画の場合は微妙な差があれど観客は皆似たような作品への解釈を得ることだろう。

少なくとも、ベタなラブストーリーと分かる作品を鑑賞してホラー映画だと認識する人はいないだろう。

しかし本作品は流れてくる音の多くが環境音で構成されており、物語のジャンルすら提示してくれない。

普通のホラー映画っぽく、マイナーコードを多用した不安げな音楽さえあれば解釈が容易なのだが、それが無い。

 

言い換えれば、視覚的情報がない分、どのようなストーリーと感じるかは観客のこれまでのバックグラウンド(観てきたもの、感じたこと、作ったもの)に強く補完される。

 

そういえば似たようなことを思い出した。

平沢進の生放送企画 BSP でも似たような話があった。

彼が起用したドラマーを覆面状態でライブパフォーマンスさせた例があった。

覆面にすることで、そこには観客の味方がそのまま投影されることになるとか。

1:01:00 ~で解説

 

 

今回の作品は理解するには、自分の経験や言語力が低すぎるのが残念だが、

それ以上に、人間が情報量を遮断されたとき、

自己の内に含まれたものが解釈に投影されやすいという普遍的な意味を気づかせてくれるのかもしれない。

 

一昔前のDance Music が「逆に」新しい

Youtube で音楽漁ってたら BRADIO を発見した。

 

お気に入りがこれ

 

 

これ、Chicじゃねえか!!と思った。

ソウル、ファンク、ダンスミュージックとか往年のブラックミュージックにガッツリ影響されている感がハンパじゃない。

良い意味で時代錯誤している。

 

特に上の曲の間奏 2:07~ とか Le Freak そのままじゃない?

 

 

あとこれ

"きらめきDancin"はEarth Wind & Fire のBoogie Wonderland を匂わせる感じある

 

 

 

結成10年目を迎えた彼らがどういう経緯でこんな音楽に傾倒していったのかが気になる次第

 

一世代昔のダンスミュージックが現代に形を変えて現れていく現象が、今後どのように世間を変えていくのか追ってみたい

 

www.billboard-japan.com

 

okmusic.jp