Science & Culture Lab

科学技術+コンテンツ+文化 → 社会実装を目指します。

「フォルカスの倫理的な死」で考える純肉社会

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 こんにちは。今日は少し方向性を変えて、とある短編小説の解説記事を書こうと思います。あくまでも個人的な見解で書いていることをご承知ください。また、部分的に本文を引用しています。

 

皆さんは「フォルカスの倫理的な死」というネット小説をご存知でしょうか?
Web小説家の「まくるめ」さんカクヨムにて公開されている1話完結の短編です。

 

kakuyomu.jp

 

 

 

なぜこの小説を取り上げたかと言うと、細胞培養で製造する肉(純肉)技術が浸透した世界を描いている点にあります。僕らShojinmeatが「こんな可能性あるんじゃないか?」と懸念した世界と、驚くほどにドンピシャだったもので。

 

この作品は「純肉社会の光と闇を描いている」数少ない作品です。
細胞培養技術によって社会がどう変わったのか?それによって、登場人物たちに起きる葛藤が彼らの行動、展開にどのような影響を及ぼすか?を良い意味で生々しく描いています。
以前の記事でも書きましたが、これが創作物の面白さであり、
新しい科学コミュニケーション手段になると考えています。

 

 

sciencecontents.hatenablog.com

 

 

 

 

 

その世界観とは?

 ごきげんよう、新人類。

 あなたは当社の商品で偉大なる一歩を踏み出すことができます。

 これまでの人類がけしてできなかったことです。

 何も殺さずに肉を食べることができるのです!

 

物語は ”動物を殺さず肉を作り提供する”企業、「ノンカルマ・フードサプライ社」のパンフレットの一節から始まります。この企業が開発した無限に増える細胞を使った食糧生産技術により、人類は動物を殺さずに肉を手に入れる手段を獲得しました。

 

作中では

  • 喫煙者が非常に珍しい存在である
  • 伐採による紙の生産は非常に非倫理的である
  • これらは21世紀の悪しき慣習とされている。
  • 自動運転技術が普及している
  • 動物を殺す食肉生産が違法化している。
  • 規模の経済により、純肉生産が効率化、且つ大規模化している。
  • 純肉を食べて育った世代が大人になり、純肉消費がメジャーとなっている。
  • 人類は現代人が食べている肉を気味悪いものとして認識するようになる。

という設定から、時代は技術が今以上に発達した22世紀であり、現代人(21世紀人)の常識や倫理観とは全く異なる世界で動いていることが想像できます。

 

 

塗り替えられた倫理観

わたしは動物愛護団体の皆様の前でも、堂々とネクタイをしめてステーキを頬張ることができます。間接的にすら、何も殺していませんから。

進歩する科学技術の後ろには、ビジネスがいる。ビジネスはどこまでも科学のあとを追いかけていくし、資金を提供してそれを加速させる。科学が加速すればビジネスも加速する。そしてその後ろには、倫理がある。

技術がひとつ見いだされるたびに、倫理は変わっていく。倫理の変化のスピードが人間の一生より長かったうちは、きっとまだよかったのだろうと思う。でも今では人生の長さの期待値はずっとずっと伸びたし、科学技術の進歩は等比級数的に加速していく。

彼らの多くは、肉を食べるために動物を殺すことがどういうことなのかうまく想像することすらできなかった。それは彼らにとってただ理解不能な行為で、ただ悪だった。

 

 

これらの言葉が指摘する通り、新しい技術、特に革新的な技術と、新倫理の誕生は表裏一体にあります。

 

純肉における倫理とは、主に「動物を殺さずに肉を食べる」が議論の焦点です。実際、アメリカのベンチャー企業 Memphis Meats は動物倫理を推して純肉開発を行っています。

 

今までの歴史上、倫理観が塗り替えられるには100年単位の時間が必要でしたが、新しい技術が続々と生まれ社会の変化が激しくなると、その「塗り替え」に必要な時間は加速度的に短縮されていくと考えられます。

 

純肉技術が広まることによって懸念されることとして、「技術導入が遅れた発展途上国が国際的な批判を受ける」があります。仮に従来の肉が悪とされた場合(無いとは思いますが)、経済的・技術的に即座に適応できなかった国や地域が、まるでカニバリズムをしているかのような国際的嫌悪感に晒される可能性は十分にあり得ます。

 

 

影響は人間のみに止まらず

犬は時代の流れに従った。

 古代、犬は人間と狩りの獲物を分けあっていた。前世紀の犬はカンガルーや牛から作られた配合飼料を食べていた。今の犬は培養された肉で作られたドッグフードを食べている。彼らはそろって時代の変化に合わせることができた。

 問題は猫だった。猫は犬ほど素直ではなかった。正確に言えば、猫たちの一部は新しい肉に問題なく適応したが、少なからぬ猫たちはいっさい受け付けなかった。理由はわからない。今でもわからない。

 

 純肉による社会変容の影響は、当然人間だけに止まることはありません。
従来のペットフードもウシ・豚・鶏を殺して生産されている以上、彼らペットが食べる肉も当然純肉に移り変わっていきます。

 

そして、その変化に対応できなかったペットたち(特にネコ)がどんどん弱っていく。ある意味「淘汰された」という意味なのかもしれませんが、自然ではなく、社会に淘汰されたとも言えます。

 

「動物を殺すことを禁じたために、動物が死ぬ」という矛盾を感じるしかないことですが、実際この社会現象は起きると考えられます。この被害を最小限に抑えるには、ペットが幼齢の頃から純肉を食べさせて、人間のみならずペットの味覚までもをアップデートするしかありません。

 

 

光と闇を描くことの意義

ここまで描かれた純肉の光と闇は、あくまでの想像の域でありますが、科学技術がどのように人の暮らし、意識を変えていくかを考える絶好の材料となります。一種の社会との対話を実現しています。

 

光と闇の両面を描くことがなぜ、社会との対話に繋がるのでしょうか?
分かりやすい例として、ソードアートオンラインが手本となるでしょう。
この作品はバーチャルリアリティー(VR)やブレインマシーンインターフェース(BMI)の光と闇を描いていました。

 

技術の課題も含めて広く認知して貰い、現状またはこれからの課題を共有する。
それによって、その分野へ進むプロフェッショナルの人材確保に長期的に貢献する。
そんな意義があるように感じます。

 

1つ確実に言えることとしては、新しい技術が生まれると同時に、新しい法律や制度までもが次々に必要になってくる、ということです。
これは純肉技術にも全く同じことが起き得ます。
こうした創作物少しでも多くの学生や研究者に認知され、純肉技術に従事する様々な専門家が生まれることを期待します。
サイエンスのみならず、法律や畜産専門の方も含めてです。

 

自分自身も純肉社会実装の一端を担う人間として、
「創作物による科学コミュニケーション」は是非とも押さえたいところであります。

 

これからも似たようなネタを見つけたら記事を書いてみようと思います。

 

また今度!!

どこかの合成系ラボで見たことある光景 ~有機合成~

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皆さんは有機合成をご存知でしょうか?

端的にいえば、ラボレベルで新たな機能性分子を合成する研究分野のことです。

新たな分子が完成した時の感動は凄いものですが、その過程は非常に長く険しいものです。

2~3時間置きに1回する作業を何回も繰り返すなど、あまりにも長い実験の拘束時間により、セブンイレブン(朝7時~午後11時)」とまで揶揄されるラボすらあるほどです。

 

 

さて、先日Twitterを見ていたら『アイドルマスター』シリーズの一ノ瀬志希をモチーフに使った有機合成ネタ画像が投稿されていました。

同じラボのメンバーが同じような状況に陥っていたのを思い出し、あまりにも共感する内容だったのでご紹介します。

 

実験をやってる人しか分からないネタではありますが、
「研究って大変なんだなぁ」と思って頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

一ノ瀬志希についてはこち

dic.nicovideo.jp