培養エンジニアの無駄話

笑える培養技術を創りたい

今のこだわり

技術系ベンチャーで培養技術開発をやっている。

今は可能性の話でしかないのだが、

培養技術が世界の前提を変えていくと信じてやまない。

 

身の回りを見れば、細胞そのもの、または細胞が作った成分が

素材になっているものが実に多い。

 

肉や野菜、果物といった食料品

木目と香り豊かな木のダイニングテーブル

メープル木材で造られたギター

絹でできたカーディガン

羊革でできた長財布

竹でできた日本弓

植物成分が配合されたオーガニック化粧品

加工食品に造られる天然色素

いずれも細胞が素になっている。

 

もしこれらのものが全て細胞培養で生産できたらどうだろう?

次のモノづくりの基盤技術として、新しい世界を創ることになるはずだ。

 

単なる技術への愛着かもしれない。

まだ全ての技術的課題と解決策が見えているわけでも無い。

器具の中で直径1 mmにも満たない細胞の塊を育てても

今のそれは何の役にも立たない存在でしかない。

 

しかし、ありとあらゆる物が細胞の力によって造られる。

そんな普遍的な背景を踏まえれば、どうしても可能性を感じざると得ない。

 

技術的な課題のあぶり出しと解決が必要だ。

それに加え、敢えて細胞培養を用いる明確な社会的モチベーションが必要だ。

環境保護サステナビリティなどではない、

もっと人間の欲に根源的にヒットするモチベーションをだ。

社会課題解決よりもマーケティングの文脈に近い。

 

細胞培養には、まだ文化として成立するような要素は無い。

しかし、そこに文化足り得る要素と、それに至る道筋を見つけてみたい。

だから私は細胞培養にこだわり続ける。

言語化の重要性に気づく

何でもそうだが、物事を言語化することは難しい。

ここ3年くらいでその難しさを痛感するようになった。

 

仕事でプレゼン資料を作成する時、

自分がなぜそのプランを推すかを説明しなければならない。

創作活動をする時、自分の感性が赴くままに創作するにしても

表現したいものは言語化されなければならない。

もっといえば、何が自分を創作に駆り立てたか他人に

共感して欲しければ、それを言語化するしかない。

 

殊に、世に無いものを他人に説明する、イメージしてもらう場合は

言語化の難しさや重要性が余計に際立つことになる。

 

ややこしいことに、人間が何かを考える時、モヤモヤとした感覚でいる時、

その想いをどう表現するかの答えは潜在的にはある程度存在するのだが、

それを言葉という顕在的な形態で表現しようとすると途端に躓く。

なぜなら、その言語化もまた、自分が表現したことが無いものだからだ。

これについては過去のCulture Square としての活動での感じてきた。

その時の自分が表現できる限界で、その都度本にまとめてきたが、

初期の頃の言葉の稚拙さは今でも恥ずかしいものだった。

内容を読めば子供が駄々をこねているのと何ら変わらない。

sciencecontents.hatenablog.com

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尚かつ、どんな事象に対してもその詳細を正確に把握するには

言語化のプロセスが必須になることも実感している。

例えば大学の卒業論文や研究論文

多くの場合、卒業論文を書き終えたあたりで

自分がやっていた研究のことを理解すると言われている。

これは日々の実験で得られた意味を「点」として捉えるならば、

一連の実験で蓄積された結果や考察を「線」として捉え、はたまた

その研究のモチベーションとなった背景を言語化し踏まえることで

「面」としての奥行きを得るに至る。

恐らくこの域に到達することが、他人からの共感を得る段階なのだろう。

 

この考え方は今となっては研究だけでなく、

仕事や創作活動全てに当てはまると理解した。

 

この言語化の作業を重ねることで物事を体系的に捉える癖が身につき、

目的を達成するために重要なことが芋づる式に見えてくることがある。

昔よりも容易に言語化できるようになったことも感じている。

 

 

言語化の難しさを納得がいくように言語化出来ないことへの

もどかしさを感じつつ、今回はおしまい。

 

 

最後に、言語化の難しさについては、ミュージシャンの平沢も言及している。

(以下動画の6:00 ~参照)